日本が近代化した要因 2
現在、日本のプロ野球では、たとえばアメリカの大リーグで活躍していた選手に、日本の選手より格段に高い報酬が支払われていますが、当時の格差はもっとケタ違いのものでした。
「お雇い外人」がピークに達した1874年にはその数は527名になり、とくに工部省(戦後の通産省)では「お雇い外人」の40%にあたる228名の外国人を雇用しました。
そして工部省の場合、その予算の3分の一は、これら「お雇い外人」のためにあてられたといわれます。
いかに先進技術の取り入れに積極的であったかがわかります。
ただし、日本側がある程度、新技術に習熟すると、それらの人に代わって日本人が責任ある立場に立ちました。
「お雇い外人」の数は急速に減らされ、1886年には155人に、1895年には79人に減りました。
また当の日本人も、貧しいながらも政府の援助を受けて積極的に海外に留学し、その地において学び、日本に新しい制度、技術を持ち帰りました。
その数は1881年までに6000人に達しました。